2006年09月03日

松ちゃん ボケまくりもホッシーに…

ダウンタウンの松本人志(42)が2日、横浜-阪神19回戦(横浜)で初の始球式を務めた。8日に43歳の誕生日を迎える松本は、背番号「43」の“HG風”ユニホームで登場。紙テープを投げたり、ハンドタオルで汗をぬぐったりとボケまくり。ノーバウンド投球を披露し、スピードガンの表示は170キロ。日本最速をマークした?だが、松本は「(マスコットの)ホッシー君がコケたのが一番ウケた。さすが“スター”やな」と悔しそうな表情。この模様はTBS系「リンカーン2時間スペシャル(仮)」(12日、後9・00)で放送される。(デイリースポーツ)
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松ちゃん「横−神」戦で爆笑始球式

ダウンタウン松本人志(42)が2日、8日の43歳の誕生日を前に背番号43のユニホーム姿で横浜−阪神19回戦(横浜)の始球式を行った。マウンドでは早実・斎藤ばりのハンカチで顔の汗をぬぐうパフォーマンスなどで場内の爆笑を誘った。TBSのバラエティー番組「リンカーン」のPRを兼ねた登板だったが、「いろいろやったけど、ホッシー君がこけたのが一番受けた。さすがスターやな」と苦笑いだった。
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2006年06月16日

ダウンタウンのエピソード【〜現在】

卒業後の1982年、競艇選手の試験に落ちた浜田が、すでに印刷工に就職が内定していた松本を尼崎の公園に呼び出して、「なぁまっつんよ、あの話、覚えてるか? 吉本入れへん?」と吉本の芸人養成所「NSC」に誘った(ダウンタウンは大阪のNSC一期生)。
芸能界に入った二人は先輩芸人からは「お前らなかなかおもろいやないか」と認められていたものの、客からは全くウケない日々が続き「帰れコール」を浴びたこともあった。自分たちの舞台を、自分たちで作って客引きするも全く客が入らず、「タダでもええから見て」と苦労する日々が続く。
しかしデビュー6年目の1987年4月、二人の努力が実り、当時関東を中心に社会現象を巻き起こしていた番組フジテレビ夕やけニャンニャンに対抗して毎日放送が関西ローカルで制作した「4時ですよ〜だ」という初の看板番組でブレイク。関西を中心にアイドル的人気を得るようになる。
1989年、「4時ですよ〜だ」の終了とともに東京に進出。「恋々ときめき倶楽部」や、「全員出席!笑うんだってば」などの低視聴率番組に出演し東京の厳しさを知るが、ウッチャンナンチャンらと共演した深夜コント番組「夢で逢えたら」や、現在も続く「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」という看板番組を得て徐々にブレイク。やがて明石家さんま・島田紳助と並ぶ、吉本を代表する大御所芸人となり、現在に至る。
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ダウンタウンのエピソード【デビュー前2】

浜田は高校で全寮制の学校「日生学園」に入れられた為、しばらくの間二人は離れ離れになった。厳しい学校だったらしく、何度も脱走を繰り返したと本人が話している。例えば、トイレを素手で洗わせられるほど。今田耕司はこの学校の姉妹校の浜田の二年後輩だが、こちらは脱走に成功し、退学して夜間高校に入りなおした。
ちなみに、浜田はこの学校にいたということが非常にコンプレックスであるらしく、番組などで担任の先生が登場したり、何度も話題にあがっているものの、浜田自身の口から学校名が出たのを松本は一度も聞いたことがないという。脱走しては松本に電話し、お金を借りて飯を食わせてもらうという生活を続けていた。
一方の松本は公立の高校「尼崎工業高校(機械科)」に入学し運動会の応援団長をしていたが、徐々にチンピラ化していき、学校をサボって中学時代から続いていた彼女とほとんどずっと遊んでいた。彼女がアルバイトに行く時は自転車の荷台に彼女を乗せ、送り迎えをしていたという。また、その彼女とラブホテルに行ったとき、ライトカバーの無い剥き出しの電球に自分の着ていた服を掛けていたら、電球の熱でその服が徐々に燃えていき、ボヤを起こしそうになった事がある。というネタか事実かわからない話を、デビュー当時はネタにしていた。
また浜田と2人で買い物に行った時に浜田がお金が無く、仕方なく松本が3千円を貸したのに、いつまでも浜田が返さない事に未だに根に持っている、というネタをやり続けたことがある。これも事実かどうかはわからない。
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ダウンタウンのエピソード【デビュー前】

松本人志と浜田雅功は潮小学校、大成中学校の同級生であったが、二人が親密になりはじめたのは同じクラスになった中学2年生の頃。二人は同級生らと放送部に入る。高校は別だった。お互いを「はまちょん」「まっつん」と呼び合う仲だった。

小学生の頃、初めて松本が浜田を目撃した時、浜田の格好は白いパンタロンにパーマ頭でサンドバッグみたいな鞄を持っており、松本曰く、「モンゴルからの留学生や思た」「イタリア人かと思た」(このエピソードを語るたびに毎回違う)。逆に浜田の松本に対する印象は「正露丸(日焼けで真っ黒のため)」だったらしい。小学校での松本は、同級生の伊東くんと森岡くんとトリオ"コマ第三支部"を組み、その頃から漫才やコントを披露していた。浜田も当時からコンビを組んでいた。中学の頃、浜田と松本の相方・伊東がケンカし、浜田が勝利。「まっつん、行こうや!」という浜田の言葉に、松本は一瞬どうしようかと考えたが、浜田が歩き出した方角が浜田の自宅とはまったく反対だったことと、伊東の家がすぐ近くだったことも手伝って、知らず知らず浜田の方に付いていった。ダウンタウン誕生の瞬間である。この時の事情は、後に伊東氏が語ったワニブックス「放送室の裏」に詳しい。
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ダウンタウンの2人について

浜田雅功 (はまだ まさとし)

兵庫県尼崎市潮江育ち
1963年5月11日生まれ
血液型A型うさぎ年
1976年 潮江小学校卒業
1979年 大成中学校卒業
1982年 日生学園高校卒業
ツッコミ担当。愛称は「浜ちゃん」。妻は元オナッターズで現在タレントの小川菜摘

松本人志 (まつもと ひとし)

兵庫県尼崎市潮江出身
1963年9月8日生まれ
血液型B型うさぎ年
1976年 潮江小学校卒業
1979年 大成中学校卒業
1982年 兵庫県立尼崎工業高校卒業
ボケ担当。3人兄弟の末っ子(二男)。愛称は「松ちゃん(まっちゃん)」。番組の企画や構成も自らこなす。
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