2006年11月15日

陣内智則のエピソード2

●誕生から学生時代
同級生である西口圭と「リミテッド」をコンビ結成(ただ、「限界」という意味に本人は気付かなかったという)、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし、「2丁目劇場で一番おもんないコンビ」と言われ、あまりのつまらなさに一時期はファンの間で「リミテッドを見ると不幸になる」とまで言われた。(しかし、そうは言われながらもファンの間では愛されていたという) 1995年9月解散。それ以降、芸人としての自信を失ってしまったと言う。

リミテッド解散後、年末の若手ネタ番組「オールザッツ漫才」出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出た為、陣内が急遽1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち、ネタを1人でただしゃべるだけだったが、なぜかウケにウケまくり、3回戦まで進出してしまった。


●ピン芸人としての再出発
「リミテッド」解散のショックからなかなか立ち直れないでいたなか、ある日吉本側から「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と、ついに“最後通告”を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならず、開演数分前にようやく完成。そのイベントで今までに無いぐらい評判が良かったため、会社の彼に対する評価も一変。次々と仕事が舞い込むようになる。

1999年10月スタートの情報番組「ちちんぷいぷい」(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日のかつての人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西のおばちゃん層への知名度も徐々にアップ。深夜のバラエティ番組「クヮンガクッ」(同)での“レシートすごろく”(梅田をスタート、難波の高島屋をゴールに設定し(その距離はわずか数キロ)、道行く人にレシートを見せてもらい、そのレシートのお店へ行かなければならない。すぐ終わると思いきや日本のあちこちに飛ばされた。ロケ期間約5カ月、その距離15000km以上。東京から北九州を経て沖縄へ飛ばされ、ようやく大阪に帰ってきたと思いきや、次の人に北海道・千歳空港内の店のレシートを渡されたり、カナダの店のチケットを渡されるなど(これはプロデューサー会議の末、予算の都合で無効となった)、予測不能のハプニングが相次いだが、そのおかげで番組の人気コーナーとなる。ゴールは大歓声をもって迎えられた)は、その後「ノブナガ」(中部日本放送)で人気となったコーナー「地名しりとり」をはじめ、各局で類似の番組が多く制作されている伝説的企画となった。
posted by あゆみっくす at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 陣内智則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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