2006年06月28日

レギュラーの2人について その3

西川くんについて…
最近では「あるある探検隊」の中に出てくる西川の気絶した時の顔を真似する人が多い。しかし、ある番組の中で、西川の気絶の真似は、危険なので本人以外はやらないようにと医師から宣告されている。また「気絶ネタ」を考えたのは次長課長である。スーツ(ジャケット)とジーンズにTシャツを着た姿で登場することが多い。髪は角刈り(だが、プロ美容師から見るとスポーツ刈りに分類されるらしい)。ちなみに、今の角刈りの提案者は同じ吉本興業所属の麒麟・川島明である。
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レギュラーの2人について その2

松本くんのことについて・・・
昔、京都発!吉本決死隊(雨上がり決死隊とバッファロー吾郎のラジオ。KBS京都)、ロンドンブーツ1号2号のオールナイトニッポン、雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!!のラジオ番組でハガキ職人をしていた。
なお、いつもワイシャツにネクタイをした姿で登場する。現在の小太り・坊主頭からは想像がつかないが、中学時代は袴田吉彦似で、ファンクラブがあった程のモテ男だったというが、後日テレビ番組による裏づけで実はそうでもなかったと判明。
初キスは23歳で、潔癖症(特に口)であった為、ディープキスが「ずんべらぼっ」と入ってくる事に恐怖を覚えたらしい。特技はサッカーで、高校もサッカーによるスポーツ推薦での入学。
次長課長の井上聡に半年間、河本準一に一年間ほど居候させてもらっていた。
小学5年ごろから歯を磨いたことがないが、歯医者も認める強力な唾液の持ち主の為、虫歯にもならなければ口臭も無いらしい。と本人がそういっているだけだと指摘する人もいる。自分の口のほうが汚染されている事にも気づかずに、人と鍋を食べる事は嫌がる。
歳の割りに、老けている。
彼女と同棲中。6月28日入籍を発表。
出前の料金をすべて相方に払わせる、東京での仕事の際はホテルの歯ブラシなどを必ず持って帰る(使わないのに)などかなりのケチ。
松本は、現在京都美山高等学校学校長大野実の教え子である。
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レギュラーの2人について その1

松本康太(まつもと こうた)
1979年5月16日生まれ
京都府乙訓郡大山崎町出身。血液型はB型。ボケ担当。
以前は、松本が気絶ネタをしていたが、扁桃腺を腫らしてしまい、手術して以来、西川がするようになった。ネタを主に考えている。歌が上手い。

西川晃啓(にしかわ あきひろ)
1979年8月11日生まれ
京都府京都市出身。左利き。血液型はA型。主にツッコミ担当。
しかし、最近テレビではボケorツッコミが明確な漫才を披露することが減り、逆に彼がいたるところで気絶ネタをするようになったので彼ボケだと勘違いされることもある。
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南海キャンディーズのエピソード

2003年6月にコンビ結成。

結成当初の2003年にM-1グランプリでは準決勝まで進み、翌年は同大会で驚異の準優勝を勝ち取った。その後、テレビ番組やラジオにCMなど出演、結成2年で多数のレギュラー番組とラジオにCM、更に冠番組までもオファーされた。
2005年冬に、東京にも住むようになる。
2006年1月18日発売のゆずのアルバム「リボン」の「チェリートレイン」という曲に声で出演。

二人揃って大きくバンザイしながら出てきて決めポーズをし、山ちゃんが「どーもー! 南海キャンディーズでーす!」、しずちゃんが指で作った鉄砲で観客席を狙い「バン!」とやったあと、山ちゃんが「セクシーすぎてごめんなさいね」という登場の仕方をする(多少のアレンジがあることも多い)。いつも無表情でシュールなしずちゃんのボソッと語るボケを山ちゃんが戸惑うもどうにか理解してツッコむ。最後はしずちゃんのボケに耐えかねた山ちゃんが「もぅー!」とブチ切れてネタが終わるか、もしくは山ちゃんのツッコミから静かに一礼、という流れで終わる。

独特の漫才は高い評価を得て2004年のM-1グランプリで準優勝したが、その年は島田紳助が暴行事件を起こし自粛していた為、ダウンタウン・松本人志も「企画者がいないのは無意味」「裏番組に相方(浜田雅功)が出演するから」と自粛した。松本はテレビでM-1を見ており「あのネタじゃ南海は駄目だ」と漏らしていた為、もし松本が審査員として参加していたら結果は変わっていたかもしれない。その為松本が参加した2005年は決勝進出コンビ中最下位の9位であった。松本は後に「他にひいきが無いように吉本芸人には厳しくしてしまう」と発言している(ちなみに、この時は敗者復活戦から進出した千鳥を含めて決勝進出の9組中8組が吉本芸人だった)。

コンビ名を決める際、2人が可愛いと思う言葉を1つずつ出すことになった。山ちゃんは「キャンディーズ」、しずちゃんは「南海」を可愛い言葉として出したため、つなげて「南海キャンディーズ」となったという。

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南海キャンディーズの2人について

山里亮太(やまさと りょうた) 通称、山ちゃん。

1977年4月14日生まれ
ツッコミ担当。千葉県出身。身長178p。血液型AB型。NSC22期生。
関西大学卒業。同級生に矢井田瞳がいる。
父親は元プロボクサーで兄はキックボクサー。母親は、高校時代かなりの不良だったとテレビの中で発言し、当の母親も否定をしなかった(しかも常にチェーンを所持していたと、母親自身が語っている)。
南海キャンディーズ結成前は足軽エンペラーというコンビで活動し、TBSテレビのバラエティー番組『ガチンコ』内の1コーナー「ガチンコ漫才道」にて優勝している。 猫ひろしと同じ東進ハイスクール千葉校に通っていた。

山崎静代(やまさき しずよ)通称、しずちゃん
1979年2月4日生まれ
ボケ担当。京都府福知山市生まれ、大阪府茨木市育ち。身長182p。(体型は決してスリムではないがバスト105cm)血液型A型。
趣味はギター。高校は事務所の先輩ナインティナインの出身校(岡村隆史、矢部浩之ともに同じ)大阪府立茨木西高等学校で、女子サッカー部に所属していた(3年生時に全国3位)。
2002年まで西中サーキット、山崎二宮というコンビを組んでいた(山崎二宮の解散理由は、しずちゃんの相方がカッコ良すぎて惚れてしまいそうだったからだということになっている)。

現在は両名とも、テレビの字幕でも通称で書かれることが多く、ほぼ芸名に等しくなっている。
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南海キャンディーズの2人について

山里亮太(やまさと りょうた) 通称、山ちゃん。

1977年4月14日生まれ
ツッコミ担当。千葉県出身。身長178p。血液型AB型。NSC22期生。
関西大学卒業。同級生に矢井田瞳がいる。
父親は元プロボクサーで兄はキックボクサー。母親は、高校時代かなりの不良だったとテレビの中で発言し、当の母親も否定をしなかった(しかも常にチェーンを所持していたと、母親自身が語っている)。
南海キャンディーズ結成前は足軽エンペラーというコンビで活動し、TBSテレビのバラエティー番組『ガチンコ』内の1コーナー「ガチンコ漫才道」にて優勝している。 猫ひろしと同じ東進ハイスクール千葉校に通っていた。

山崎静代(やまさき しずよ)通称、しずちゃん
1979年2月4日生まれ
ボケ担当。京都府福知山市生まれ、大阪府茨木市育ち。身長182p。(体型は決してスリムではないがバスト105cm)血液型A型。
趣味はギター。高校は事務所の先輩ナインティナインの出身校(岡村隆史、矢部浩之ともに同じ)大阪府立茨木西高等学校で、女子サッカー部に所属していた(3年生時に全国3位)。
2002年まで西中サーキット、山崎二宮というコンビを組んでいた(山崎二宮の解散理由は、しずちゃんの相方がカッコ良すぎて惚れてしまいそうだったからだということになっている)。

現在は両名とも、テレビの字幕でも通称で書かれることが多く、ほぼ芸名に等しくなっている。
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2006年06月27日

品川庄司のエピソード

2人共に東京吉本総合学院(東京NSC)の第一期生であり、1000人ほどいたNSC第一期生で現在も吉本興業で活動しているのはは品庄だけである(他事務所では東京ダイナマイトのハチミツ二郎も東京NSC1期生)。1995年コンビ結成。品川はロンドンブーツ1号2号の田村淳よりは年上だが、淳のほうが先輩になる。

本格的なしゃべくり漫才からコントまで、幅広いジャンルをこなす。因みにネタの台本は、ほとんどを品川が作成している。(二人が同じ部屋にいて、品川がネタを考えている一方、庄司が遊んでいて喧嘩になることもしばしばあるらしい)

以前、庄司に漫才ネタを書いて貰ったところ、二人でやるネタなのに登場人物が三人になっていた。

爆笑オンエアバトルでは第3回チャンピオン大会に出場。ボール2個差でルート33がチャンピオンを防衛し惜しくもチャンピオンを逃す。

2004年に笑っていいとも!にゲストとして出演した際に司会のタモリから「お前ら、品川大崎?」と山手線の駅名でボケられたことがある。

「品川庄司」という語感から、1人の人物の氏名と誤解されることがある

2005年、M-1グランプリ決勝戦に10年目で初めて進出。ネタを島田洋七に「番組が盛り上がる」と絶賛され、島田紳助からは、「十年目だけあって稽古量は伝わってきて感動した。」と言われるが、前がブラックマヨネーズだったからか押され気味だった。

品川の祖母は故山野愛子
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品川庄司の2人について

品川祐(しながわ ひろし)
1972年4月26日生まれ
主にボケ担当。東京都渋谷区出身。身長173cm、血液型A型。

庄司智春(しょうじ ともはる)
1976年1月1日生まれ
主にツッコミ担当。東京都大田区出身、東京実業高校卒業。身長177cm、血液型A型。

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2006年06月24日

次長課長のエピソード その4

あくまでコンビ名なのでどちらが次長でどちらが課長というわけではない。だが、ごくまれにバラエティ番組で「次長 河本」「課長 井上」という設定になることもある(タモリ倶楽部に出演した際には「吉本工業 Yoshimoto Industry」という名刺を出したことがある)。
「めちゃ²イケてるッ!」内のコーナー『恋のカマ騒ぎ』では次長子の彼が河本、課長子の彼が井上という設定になっていた。

2004年以前、TBS系列『さんまのSUPERからくりTV』の番組収録で前説をやっていた。

ズバリ言うわよ!(2005年3月8日放送)で細木数子に「このコンビ名だと井上が貧乏になる」と指摘され、本気で改名をするか迷ったがとりあえず改名は拒否した。その後、逆に大ブレークが続いている。

井上は「マンスリーよしもと」が毎年恒例に行っている吉本男前ランキングで2006年度、2位に倍以上の得票差をつけてダントツの1位に輝いた。(ルミネtheよしもとのお客さんに聞いた、抱かれたい芸人ランキングでも1位を獲得。)

ちなみに河本はブサイクランキングの8位だった。
河本は「お父さんになってほしい芸人」、井上は「息子にしたい芸人」でそれぞれランクイン。

2006年3月28日に放送された「祝!ズバリ言うわよ!細木数子誕生祭!2週連続2時間スペシャル第1夜!!」にて、井上が芸能界に入るきっかけとなった人物であり、河本も大ファンのジャッキー・チェンとの共演を果たした。井上は『プロジェクトA』のワンシーン「テーブルの上で歌う人のまね」、河本は「オメェに食わせるタンメンはねぇ!」をそれぞれジャッキー本人の前で披露した。

「晴れる道 〜宇宙人(オメェら)に合わせる顔がねぇ!〜」でCDデビュー(2006年5月31日発売、R and C)。
JK名義で出しており、アニメ・ケロロ軍曹の期間限定の主題歌になっている。作詞も手がけており、プロデュースは小室哲哉である。 吉本芸人をもっと知りたい方はこちら>>
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次長課長のエピソード その3

大阪時代に河本が椎間板ヘルニアで入院した際、井上は師弟関係にあるケンドーコバヤシと一緒に学園祭などの仕事を行っていた。ツッコミなしで、ボケにボケを重ねる形のネタを披露し、非常にうけて好評だったらしい。
河本が入院していた時に、芸人仲間がお見舞いに来てお土産をくれた。一番多かったお土産は「フラフープ」。相方の井上は「月間ムー」というUFOなどのオカルト雑誌だったらしい。(エンタの神様ホームページに記載されている)

しかし、河本が退院した直後に行われた次長課長単独の復帰ライブはだだすべり。劇場の三階にある本屋のレジの「チーン」という音が聞こえるほどのスベりようで、劇場の伝説になっている。

当初は井上がボケ・河本がツッコミだったが入れ替わった。舞台やネタ番組ではコントが主だが漫才をやることもある。さらに極一部のネタでは今も井上がボケを行うネタがある。(井上がボケて河本にモノマネを振り、河本がモノマネを披露してからノリツッコミするもの)

チャイルドマシーン(解散)が東京に行く際、カラオケで号泣しながら(シャ乱Qの上京物語)歌って彼らを送った。

2002年10月、東京進出。ルミネtheよしもとの舞台などに出演。

東京ではしばらく芽が出なかったが、2004年頃からマニアックなものまねが注目され始めた。舞台やネタ番組ではロングコントも披露するが、その際も河本がマニアックなものまねや特異なキャラを使ってボケることが多い。
マニアックなモノマネは、大阪時代、楽屋で中川家と一緒だったとき「こんな人おるな」という細かいモノマネを競い合ったことから生まれたもので、いわば中川家と共同開発したネタである。今でも中川家と同じ楽屋のときは、楽屋内4人で即興コントをすることが多い。

中川家に礼儀から芸事まですべて教え込んでもらったため、「身近だけど神様みたいな存在」だと2人は語る。

河本のキャラで特に代表的なのは「とんねるずのみなさんのおかげでした」に出た際にジャッキー・チェンの映画に出てくる脇役の真似で「お前(オメェ)に食わせるタンメンはねぇ!」がよく知られている(初めて出た時は「お前に“食べさす”タンメンはねぇ!」であったが)。ちなみにこのフレーズは河本がアドリブで考えたもので、本当は「そうは酢豚の天津丼だ!」だった。

コントのネタ作り以外は、相方である井上をこの世界に誘ったのは河本。東京行きを決めたのも河本。ゆえに2005年10月31日放送の『めざましテレビ』の広人苑IIでは「ネタ作りの主導権は井上、人生の主導権は河本」と語る。
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次長課長のエピソード その2

1994年4月結成。NSC在学中は河本・井上・山下のトリオで「次長課長社長」だったが、わずか1年程で社長の山下が脱退しコンビとなった。
社長は現在東京で美容師をしている(実際に「カミングダウト」2005年3月22日放送分の中で判明)。その後はトークの度に社長の話がでてくる。いいとも出演時には山下から電報がきた。

次長課長ではなく「8ボール」というコンビ名にしようともしていた。

河本は大阪に出てきた当時、何度も岡山に帰ることも考えたが、相方井上の存在が踏みとどまらせた。「自分がこの世界に引きずり込んで、あいつの人生を狂わしたのに、俺が帰ったらあいつはどうなる」と男気を語る。

河本は19歳の時、ホストの経験をした事がある。度々披露しているタンバリン芸は、このホスト時代に覚えたものである。働いていたホストクラブでNO.3だったと言い張っているが、実はその店にはホストが4人しかいなかった。

NSCの同期には同事務所野性爆弾、ブラックマヨネーズ、チュートリアル徳井、ルート33増田、現在は俳優の三浦誠巳がいる。また吉本外に移籍した者では飛石連休藤井、クワバタオハラ桑波田、超新塾新塾イーグル、諸岡立身らがいる。

ほぼ同期にはガレッジセール、シャンプーハットなどがいる。また、1年先輩にはロンドンブーツ1号2号・DonDokoDon・ペナルティなどがいる。年齢が上である品川庄司(品川は3歳上で庄司は同学年)は1年後輩にあたる。

心斎橋筋2丁目劇場よりデビュー。2丁目劇場閉鎖後は、1999年オープンしたbaseよしもとの主力メンバーとして活躍。単独ライブのタイトルに東京23区の区名をつけ、全23回開催。2002年9月23日の「中央次課長」をもって、本人達の意向によりbaseよしもとを卒業。

卒業ライブでは407人というbaseよしもと観客動員記録を作る。(この記録は今だに破られていない。)

ちなみに東京23区ライブシリーズにはブレイク前のフットボールアワー・レギュラーらが毎回出演しており次課長軍団(ファミリー)などと呼ばれていた。

レギュラーの「気絶」ネタは次長課長が考えたものである。吉本芸人をもっと知りたい方はこちら>>

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次長課長のエピソード その1

岡山市立京山中学時代に野球部で知り合う。一緒にキャッチボールをしたのが2人の出会いであり、それからは毎日のように一緒に遊ぶ仲になる。高校はそれぞれ違う高校に進学したため疎遠となったが、高校2年生の時に河本が井上宅に遊びに行き再会。再び交流が深まる。

所属していた野球部の練習で、みんながキャッチボールをしている中、井上は1人でフルスイングをしていた。すると河本がやって来て「先生が、キャッチボールをしなさいと言っているんですけど」と敬語で話しかけた。井上は「あ、そう」と答えると河本とキャッチボールを始め、それをきっかけに2人は仲良くなった。

ちなみに2人は中学時代、同じクラスになったことがない。

二人とも勉強が苦手で、中学時代、岡山県の中学生8000人が受けたテストでは井上が7990位、河本が7991位だった。

高校受験のときも高校に行きたいといったところ、先生に「夢を見るな」と言われた(2006年6月17日放送、恋のから騒ぎより)

高校卒業後、井上は親戚が営んでいたガラスサッシの枠を作る会社に就職が決まりかけていた。しかし河本から「吉本に入ろう!ジャッキー・チェンに会えるで!!」と誘われ、そのまま現在に至る。井上を誘った理由は「友達の中で、井上が1番おもしろかったから」

NSCの面接試験の際に、河本は笑いに対する想いを熱く語って合格したが、井上は指されずに何も発言しなかったにもかかわらず受かってしまった。 吉本芸人をもっと知りたい方はこちら>>
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次長課長の2人について

河本準一(こうもと じゅんいち) 
1975年4月7日生まれ
ボケ(しかしトーク、一部のネタではツッコミ担当)。岡山県岡山市出身(もとは愛知県名古屋市出身)。 市立京山中学校、県立東岡山工業高校卒業。身長162cm、血液型AB型。

井上聡(いのうえ さとし)
1976年2月2日生まれ
ツッコミ(しかしトーク、一部のネタではボケ担当)。岡山県岡山市出身(生まれは熊本県玉名市)。市立京山中学校、森教育学園岡山学芸館高校卒業。身長175cm、血液型B型。

略称次課長(じかちょう)。どちらも大阪NSC(吉本総合芸能学院)13期生。コンビ名の由来は、2人がバイトしていた居酒屋で、社員だった次長さんと課長さんにお金をもらい、はげまされたから。吉本芸人をもっと知りたい方はこちら>>

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2006年06月21日

ロンブーのエピソード その2

亮は大阪出身であるが東京吉本デビューのため、標準語と関西弁が半々であり、ツッコミの「それ、あかんだろ」等の東西チャンポンのツッコミは同業者がたまにマネる。デビュー直後、まだキャラクターを模索中のころは淳も関西弁を使っていた時期があった。

2000〜2002年、歌手としてエイベックスから3枚のシングルを発売した。また吉本芸人のユニット「Re:Japan」に参加し、2001年のNHK紅白歌合戦に出場した。

以前、淳は3ヶ月家賃を払ってなかったため、亮宅に同居していた(押入れの中に入れてもらったといわれる)。

恋愛バラエティーに出ているため、一部の地域では「スケベ芸人」と呼ばれることもある。

淳はラジオで自分の携帯番号を言ってしまったことがある。人気blogランキングへ

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ロンブーのエピソード その1

東京のインディーズお笑い集団に2人とも所属していたことから出会い、コンビ結成。渋谷で路上ライブを行い、多数の観客を集めるようになる。

1994年4月、銀座7丁目劇場のオーディションに合格し吉本興業入り。同期にDonDokoDon・ペナルティなどがいる。

初期は、淳がヘアバンドをしたり、関西弁をしゃべったりとキャラ作りをしていた。その頃、CX深夜の帯番組、ウッチャンナンチャン司会の「UNファクトリーカボスケ!」でたくさん出演していた若手の中から際立った目立ち方でウンナンから引き立てられて売れ始めた。 以後、異例のスピードで大ブレーク。多くの番組で「仕切り」のポジションに立ち、若くして冠番組を多数持つようになった。スタイルは淳;ボケ、亮;ツッコミだったが、亮のあまりの天然っぷりに最近では淳;仕切り&ツッコミ、亮:天然ボケに変わっている。

テレビでは2、3回ぐらいしかネタをしたことがないらしい。

主に素人をいじる企画などを得意としている。

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ロンブーの2人について

田村淳(たむら あつし)
1973年12月4日生まれ
山口県下関市彦島出身、ボケ担当。

田村亮(たむら りょう)
1972年1月8日生まれ
大阪府高槻市出身、ツッコミ担当。

漫才コンビのハイヒールにならってコンビ名に靴の名前をつけた。

尚、2人とも姓が「田村」だが、血縁関係は無い。また、「1号2号」というのはコンビ名としての表現であり、どちらが1号でどちらが2号というのがある訳ではない。

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2006年06月20日

中川家のエピソード その4

剛は透明の飴だと言って石鹸を食べさせた事もある。(これも明石家電視台のクイズのコーナーで発表、翌週ジャンジャンバリバリ1000玉王のエンディングコーナーでコント化)

1990年代初頭、お笑いに新しい風をふきこむため、2丁目劇場では漫才禁止令が出された。「漫才できんのやったら舞台に立つ意味ない」と思った二人と海原やすよ・ともこは、以降所属劇場がなくなることを省みず、二丁目劇場卒業を選択。

デビュー当初、剛がパニック障害を患った。
人ごみに入ると呼吸を忘れてしまう剛のため、発病当時は、新幹線移動では一駅ごとに礼二が剛を下車させ呼吸をさせていた。
漫才中に剛の意識が飛んでしまい、礼二は一人漫談状態で漫才を続けた。
剛が療養中も礼二は剛が戻ってきやすいよう、一人でレポーターなどを続ける。
今までで一番つらかった仕事に礼二は、剛療養中の一人での営業をあげている。それなりに受けたらしいが、マイクの少し横に立ってしまい、悲しかったらしい。 人気blogランキングへ
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中川家のエピソード その3

兄弟はよく父親に連れられてよくなんばグランド花月に連れて行かれた。礼二は行くのが嫌だったが、電車に乗れるのが楽しくて付いて行った。(このためマニアックなモノマネに電車がらみが多い)いつの間にか漫才にどっぷりはまり、なんばグランド花月の最前列で釘付けで見るようになる。
剛は小学校高学年の頃には、体格で礼二に負けてしまっていた。そのため、お下がりならぬお上がりを礼二からもらっていた。
剛は小学校の時に礼二のランドセルに犬のフンを入れていたらしい。

幼い頃、礼二と自転車の二人乗りをしていた時、後ろに乗っていた礼二を落とした事がある。
また、火遊びをしていて家が燃えてしまい、礼二が危うく焼死しそうになった事がある。

礼二とケンカした時は絶対負けてしまうので、剛はその腹いせに水鉄砲に小便を入れて弟に掛けていたと言う伝説もある。

また、ケンカの腹いせでラーメン作ったると言ってラーメンの器を持たせ蹴りを入れる。熱さと痛さでギブアップする。だがその後すぐ礼二に倍にやり返される。(毎日放送の明石家電視台のクイズのコーナーで発表、翌週ジャンジャンバリバリ1000玉王のエンディングコーナーでコント化)
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中川家のエピソード その2

兄・剛の自己満足的ぼけを弟・礼二が汗をかきながらつっこむスタイル。いわゆる正統派しゃべくり漫才で、同じく兄弟漫才コンビである夢路いとし喜味こいしの後継者と言われることもある。普段から頼りない『兄』剛は、外見的にも身長が低く童顔で、おっとりしたぼけであるのに対し、声も顔も体も大きく「大阪のおばちゃん」的なしっかり者の『弟』礼二がつっこむという立場逆転の面白さもあると言える。

漫才で完全な主導権を握っているのは弟だが、兄がネタを書いている。 ネタの打ち合わせは、ほとんどしていない。 またコンビ結成のきっかけも、相方を探していた兄が友人・知人にことごとく断られた後、居間で寝転んでいた弟に声をかけたらすんなりとOKされコンビ結成に至ったらしい。

兄・剛がパニック障害を経験しており、一時期舞台に立てなくなってしまったことや、弟・礼二が漫才ネタを舞台上で忘れてしまい、漫才をコントロールできなくなったとするエピソードもある。 弟・礼二は上方お笑い大賞に出演したとき、あまりの緊張から大便をもらし、ネタを中途半端にしてしまったことがある。

なお礼二の離婚話は、M-1グランプリ優勝後ではなく、1997年のKBS京都の自分のラジオ番組が発祥だと思われる。

礼二のマニアックなモノマネは、元々子供のときに鏡に向かって練習をしていた。あまりにやりすぎて父親に病院につれて行かれた経験がある。最近では楽屋で次長課長とモノマネの競い合いから生まれることが多い、いわば次長課長と共同開発したネタである。アメトークでの次長課長との即席コントは大好評だった。
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中川家のエピソード その1

吉本興業のNSC11期生。同期には陣内智則・ハリガネロック・ケンドーコバヤシ・たむらけんじらがいる。松竹芸能のますだおかだ・増田は小学校・中学校の先輩にあたる。

1996年1月、第17回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞。関西ローカル番組「すんげー!Best10」などで人気を博する。

関西以外で知られるようになったのは、2000年頃に出演した明石家マンション物語がきっかけ。オーディションコーナー(「大部屋」)で注目され、準レギュラー出演するに至った。 また、爆笑オンエアバトル(NHK)では10戦9勝と言う高いOA率を誇った。

2001年末、第1回M-1グランプリでは大本命というプレッシャーの中、見事初代チャンピオンとなった。その前後に本格東京進出。現在の若手お笑い芸人ブームの初期(2002〜2003年頃)に大ブレークした。
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